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2007/6/2
国生み神話にヤマタの痕跡があった
ヤマトの語源を考察する上で最も重要な史料、それが国生み神話である。
国生み神話の語りの中に、国生みによって生まれた島のうちの大きな島が八つであることに因んで「大八島国」と命名されたことが明記されている。
国生みによって生まれた島が八つではないにもかかわらず、あえて八つの島を選び出したのは、先人も指摘するように、八という数字を聖数とする習いによるものであろう。
この「大八島国」の命名法こそ、ヤマトの命名法の基本的な考え方であるといえる。
即ち、それは領有権の主張であり、支配権の主張である。
大八島の領域を明らかにし、それが神によって作られたということを語ることによって、その帰属するところが暗示されているのである。
そうした考えと同じ考え方で「ヤマト」という呼称が命名されている可能性が極めて高い。
ヤマトはその領有範囲を表現する語句である可能性が高く、ヤマトのヤは聖数である八を表す可能性が高い。
強引ではあるが、このような考えを推し進めていくことによって、ヤマトの語源と確信できる記述を見つけることができるのである。
『古事記』「国生み」は重要な史料であるから、その訳文の全文を転載する。
この中から、先に述べた考えに基づいてヤマトの語源の根拠となる記述を見出すことができるのである。
筆者が重要視する記述部分には、『古事記』「国生み」の訳文にはない○印を付けている。
また、考察に関係のない部分の漢字表記の一部をカタカナ表記に変えている。
そこで二柱の神は相談され、「今私たちが生んだ子は、不具児でよろしくない。やはり天つ神のおられる所に参上して、このことを申しあげよう」とおっしゃって、すぐに一緒に高天原に参上し、天つ神の指示を仰がれた。
そして天つ神のご命令で鹿の肩の骨を焼いて裂け目の形で神意を知るという占いをした結果、
天つ神は「汝が先に唱えたのがよくないのだ。再びオノゴロジマに帰り降って、改めて唱え直しなさい」と仰せられた。
そこで両神は帰り降って、また例の天の御柱を前回の用に巡られた。
こんどはイザナギのミコトのほうから先に、「なんとまあ、美しい娘だろう」と唱え、そのあとで妹のイザナミのミコトが「何とまあ、すばらしい男性でしょう」と唱えた。
このように唱え終わって結婚され、
その間に生まれた最初の子は ○淡道之穂之狭別島(アワジノホノサワケジマ)であった。
次に伊予之二名島(イヨノフタナノシマ)(四国)を生んだ。この島は身体は一つだが顔は四つあった。
またそれぞれの顔に名がついていた。そういうわけで、その顔の一つの伊予の国を姉姫の愛比売といい、讃岐の国を食べ物の霊の依りつくという意味の飯依比古といい、阿波国を穀物をつかさどるという意で大宜都比売(オオゲツヒメ)といい、土佐国を強健な霊の依りつくという意の ○建依別(タケヨリワケ)という。
次には、三つ子のように三島から成るという隠伎之三子島を生んだ。またの名を押し凝り固まったという意で ○天之忍許呂別(アメノオシコロワケ)という。
次に筑柴島(九州)を生んだ。この島もまた身体は一つだが顔は四つあった。
これもそれぞれの顔に名がついていた。
つまり、その顔の一つの筑柴国を輝く日にちなんで ○白日別(シラヒワケ)といい、
豊国をやはり日にちなんで ○豊日別(トヨヒワケ)といい、
肥国も日にちなんで ○建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)といい、
熊曾国もやはり日にちなんで ○建日別(タケヒワケ)という。
次には壱岐の島を生んだ。またの名を離れ小島という意で天比登都柱(アメヒトツバシラ)という。
次に対馬を生んだ。またの名を天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)という。
次に佐渡の島を生んだ。
そして五穀の豊かに実るという意の大倭豊秋津島(オオヤマトトヨアキヅシマ)(本州)を生んだ。またの名を ○天御虚空豊秋津根別(アマツミソラトヨアキズネワケ)とほめたたえる。
こうした次第で、以上の八つの島を生んだのにちなんで日本列島を大八島国という。
以上の記載中に 筆者が○をつけた数は「八つ」である。
その「八つ」の中に、一つの「根別」と七つの「別」が含まれているのは偶然ではないと考える方が自然であろう。
根別と表現されるのは最大の島である本州であり、そこから当時において重要視されていたであろう地方や島が、「根別」とは切り離せない「別」の関係にあることを表明するための命名である可能性が高い。
「根別」と「別」との関係は「俣」の関係でもある。
一つの「根別」と七つの「別」から成り立っていると認識されていた国は「八俣の国」と命名される可能性が高い。
この場合、ヤマタの王の名乗りは日本全土の領有者であることの名乗りとなり、日本全土を支配する者にのみ許された名乗りとなるのである。
邪馬台国女王はヤマタノクニの女王ではなかったか?
ヤマタなら邪馬台と表記されえる。
ヤマタが時を経てヤマトに変化することもありえよう。
邪馬台国の語源 了